映画のツボ

フォークシンガー・高田渡が残した最後のメッセージが映画になった!

23才の高田渡が唄う貴重映像!

1972年に自主製作された記録映画「吉祥寺発赤い電車」(※1)の一部が約30年ぶりに発見された。この映画より、群馬・高崎音楽堂で歌う若かりし頃の高田渡が、映画冒頭に甦る。

高田渡が、“吉祥寺・いせや”に帰ってきた。

2003年。高田渡は、お気に入りの焼き鳥屋<吉祥寺・いせや>(※2)に今日もいる。いつものように焼酎を片手に語り尽くした。唄のこと、お酒のこと、好きな風景のこと、そして仲間やお客さんのこと。「ライブの中には僕がほとんど集約されてる。飲んでる時は、オマケだ!」そして、うたた寝をした…。

前作「タカダワタル的」の原点になった2001年・年越しコンサート

2001年の大晦日、下北沢ザ・スズナリ。おなじみの『仕事さがし』でコンサートの幕があがる。1969〜1971年まで過ごした京都時代の代表的なラブソング『コーヒーブルース』は、毎日通った三条堺町の<イノダ珈琲店>が歌詞に織り込まれている。そして、京都時代以来の友人でもあり盟友のシバ作詞作曲による『ハッピーニューイヤーブルース』、フランスの画家マリ−・ロ−ランサンの詩を唄う『鎮静剤』と続く。いつも唄い続けてきた歌と、落語家も舌を巻くステージトークで客席は温かい拍手と爆笑に包まれる。

高田渡VS泉谷しげる これが最後の競演!

フォーク界の双璧、高田渡と泉谷しげるの本格共演が実現した。高田を「国宝」とリスぺクトする泉谷。「楽屋では静かでいい人なんですけどね」と挑発する高田。泉谷は、『おー脳』『春夏秋冬』を絶唱。二人が繰り広げる打々発止のやり取りに客席のボルテージも絶好調。観客を挑発し、時には毒づく泉谷の熱いステージに対し高田は、飄々となにくわぬ顔で、「泉谷さんがいたことは、忘れて下さい!」とあくまで応戦!果てることなく続くふたりの舌戦のゆくえは・・・。

前作『タカダワタル的』の原点となった映像を初公開。その魅力尽きない高田渡の唄に再び迫る!

吉祥寺発赤い電車

※1 映画『吉祥寺発赤い電車』とは

1972年に自主映画団体“無援舎”によって製作された記録映画。高田渡を軸に当時のフォークブームの様子が記録されている。高田渡をはじめ武蔵野タンポポ団の村瀬雅美、シバ、若林純夫、山本コウタローそして、三上寛、遠藤賢司、友部正人、小野和子らのステージの様子が収録されている。“無援舎”の活動休止とともに消息を断っていたフィルムが、2007年に前半部分だけ発見される。

吉祥寺・いせや

※2 <吉祥寺・いせや>とは

1928年に精肉業として創業。1949年には店頭で焼き鳥を焼いて酒といっしょに提供する様になり吉祥寺の名物店となった。昨今では、往年のお客さんはもちろん、井の頭公園を訪れる若者や子どもづれの家族にも親しまれていた。本店の閉店日には、吉祥寺通り沿いに朝から長蛇の列ができ「いせや」コールまで巻き起こり、温かい拍手の中、最後の夜を締めくくった。

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